2011年8月12日金曜日

復興祭(歴史)

平成14年10月発行の創立50周年記念誌の座談会に以下の記述があります。(役職は当時)
杉崎武彦(広報部長):町会の発足当時の話などをお聞かせください。
米山冨治郎(顧問):終戦の時は外地でした。帰ってきました時、復興祭をやっていましたね。賑やかでしたよ。仕事もありましたし、組合の幹事でもあり、一年くらいはわかりませんでしたね。
米山耕右(町会長):町会に関わったのはいつ頃ですか。
米山冨治郎:それは復興祭だったと思いますよ。
杉崎武彦:それは何年頃でした?
柴田昭司(副会長):昭和21年です。
米山冨治郎:柴田米作さん(昭司さんの父・カホウパンさん)が復興祭の世話をされていましたね。
(中略)
杉崎:鈴木久子さんは、町会をずっと見てきたんですね。
鈴木久子(福祉部長):鎌倉町は生まれて育った処です。先程の復興祭の話を懐かしく聞いていました。柴田さんで作られた張りぼての食パンの山車に乗って遠くまで行きました。張りぼての前に「アメリカさんありがとう」と貼り付けてありましたね。当時、いろいろ援助物資を沢山もらっていたからでしょうね。